院長室のきのうきょうあした6
その6 病院の始まりから考える
明けましておめでとうございます。2019年、平成31年、亥年が幕を開けました。今年は改元の年になり、様々な意味でまた新しい時代が始まることになるでしょう。
病院は英語でhosipitalであり、hotel(ホテル)やhosipitality(手厚いもてなし)は"hospes "というラテン語を共通の起源とする派生語であることは有名だと思います。ラテン語の"hospes "には(客をもてなす)主人、客、旅人など立場が微妙に違うことばの意味があるようです。 現在の日本では病気になったら医療機関に行くというのはほとんどの人が選択するところであり、病院の存在を疑うひとはだれもいません。しかし各国の歴史の中では、医学医療の未熟ということだけではなく、病院の多くは直接、病人の治療をするところではありませんでした。 昨年の夏、西洋キリスト教世界で最も古い病院のひとつであるオテル・デューを訪れる機会がありました。この病院はパリのノートルダム寺院前の広場にあり、りっぱな門構えで、美しい中庭を有し、格調高さを感じる静かな建物ですが、実は近代的な病院であり、歴史上には660年から記載があるそうです。当初は教会に関連する宿泊施設だったそうでまさに今のホテルのような機能をはたしていたようです。ノートルダム寺院が建立された1200年前後からたくさんの建物が作られましたが、中世ヨーロッパにおける病院は病人だけではなく浮浪者や障害者、老人、捨て子、孤児などの社会的弱者を広く救済する福祉施設でもあり、常に満員だったようで、オテルヂューも例外ではありませんでした。1656年ルイ14世の勅令によりオテル・デューは病人を専門に扱う!施設になりました。しかし18世紀後半のフランス革命の時には25の病室に1624床お有する病院に4000人以上が入院しているという事態で、疫病の流行もありこのころの評判はさすがにあまりよくなかったそうです。オテル・デューは18世紀の末の大火により多大な被害を受けましたが、1795年には外科病院、1821年には内科講座が開かれ、多くの患者さんの診療を行い評価の高い病院となり、各地で名声を博すようになりました。病人の看護は修道院会の女性が当たり、のちには一般の女性が担当したとのことです。現在は成人を対象とする パリ有数の病院のひとつのようです。病院の基本的な構造は1865年に始まる改築によりほぼ完成し、1877年に落成式が行われた時からはほとんど変わっていないそうです。
広い中庭とその両翼を成す長い廊下のある建物に囲まれ、両翼を結ぶ部分に礼拝堂があります。事務室に近い壁には戦火に倒れた医師の名前を刻んだプレートが掲げてあり、両サイドの長い廊下の壁には、火事の場面やくりかえす戦火の時期を含むオテル・デューの歴史が描かれた絵がたくさん並んでいて想像力を刺激されます。古い時代には修道女が病人を介護している絵もたくさんあり、ベッドに患者さんが二人ずつ寝ている絵もあって印象的でした。戦時下でなくてもひとりの患者さんが当然のように1ベッドを占有できるという状態は決して永遠の真実ではないことを実感させられました。現在は近代的な設備を整え、救急車も来ている病院ですが、歴史をきざんで現在に活きる医療機関の施設や制度の重みと変化を感じたところです。
都立東部療育センターは多くの方々の思いと、願いと、お力をいただいて2005年12月に開設された病院であり同時に福祉施設でもあります。初期の病院機能が発展し昇華された形ともいえ、開設式の際に当時の石原都知事が 『こういう施設を皆さんのご協力で誕生させたということは、やはり人類の将来にとっての誇るべきモニュメントになりうると思います。』というご挨拶をいただいています。当センターが将来どのような形で継続しさらに発展していくべきか、来年度の東京都とからの指定管理の契約更新を控えて、当センターのミッションは何かをあらためて考えさせられることになりました。

