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院長室のきのうきょうあした3

その3 時代とこどもと世の中と

~東京都立東部療育センター開設10周年記念式典の日に 2015-12-11~

休日の午後、並木道の葉影の下、バス停の前で若いパパが女の子の写真にとっていました。4歳くらいの女の子はオレンジ色の水玉模様のワンピースを着て、ちょっとおしゃれしているようでした。びっくりしたのは、撮り終わった瞬間、「パパ見せて!」といってカメラに駆け寄ったことです。アナログのカメラが当たり前だった時代には誰も決して言わなかったせりふです。
世の中変わってデジカメが当たり前になったことをあらためて痛感した出来事でした。

この秋、六本木富士フィルムフォトサロンで「昭和のこどもーどんな時にも笑顔があった」と題する写真展を見ました。木村伊兵衛、土門拳、熊谷元一、植田正治など名だたる写真家19名が撮影した子どもたちの写真の群像が100点以上展示されていました。戦前戦後の子どもたちの写真は、時代の中で生きている子どもたちの姿をまざまざと描き出し、1953年にわが江東区で土門拳さんが撮影された「笑う子」6人のこどもたちみなは心からうれしそうでした。おねえちゃんにつれられているらしい年下の女の子がひとりだけちょっと不安そうなのがご愛嬌でした。それにしても6人のうち3人まで前歯が抜けているのがもっとご愛嬌でしたが。妹や弟をおんぶして、というよりは背中に括り付けられて遊ぶ子供、教室で勉強する子供もいまは皆無といっていいでしょう。町に村に子供がたくさんいた時代だったのだと改めて思います。

1946年林忠彦さんが上野駅で撮影された「たばこをくゆらす戦災孤児」の写真の男の子は中学生になっているかどうかの年齢にしか見えません。有馬正高名誉院長は、戦後の大混乱のこの貧しい時代、日赤産院の小林堤樹先生が、街中で、あるいは家庭でも治療を受けられずにむなしく死んでいく障害のある乳児を、せめて医者のもとで死なせてあげたいとの思いから、重症心身障害児の医療が始まった、とよくおっしゃいます。
「最も弱いものを一人のもれなく守る」という重症心身障害児(者)を守る会の第一憲章が都立東部療育センターのモットーの第一憲章でもあります。もっとも弱いものを守れない社会はいずれそれより少し強い者を守れなくなり、やがてそれよりもう少し強いものを守れなくなり、いずれ弱くない人、強い人も守れなくなるおそれを秘めているということだと思います。
もっとも重症心身障害児(者)は弱いばかりではなく、その存在自体が大きな強さと希望を秘めていることは日々感じられることでもあります。重症心身障害児(者)の医学医療の質の向上や、日々の暮らしの彩りを増すための当センタースタッフ一同の「志」を守れる世の中が末永く続くように願う毎日です。

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